麻薬密輸経路の確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 18:30 UTC 版)
「パブロ・エスコバル」の記事における「麻薬密輸経路の確立」の解説
やがて、アメリカ合衆国においてコカインの需要が急激に増加した。エスコバルは、南フロリダ、カリフォルニア、プエルト・リコを始めとした地域で、コカインの密輸経路と流通網を手配していった。エスコバルは麻薬カルテルの共同創設者であるカルロス・レデル(Carlos Lehder)と協力し、フロリダの海岸から南東220マイル(約354㎞)離れた海域に「ノルマンの小島」(Norman's Cay)と呼ばれる島を開発した。ここはバハマ諸島におけるコカインの新たな船舶輸送地となった。伝えられるところでは、エスコバルは「ノルマンの島」は購入しておらず、カルロス・レデル単独の事業であったという。エスコバルはロベルト・ベスコ(Robert Vesco)とともに、この島の土地の大部分を購入し、滑走距離3300フィート(約1km)の滑走路、港、ホテル、建物、ボート、航空機を置き、コカインを冷蔵で保管するための倉庫を建設した。1978年から1982年まで、ここはメデジン・カルテルによる麻薬密輸経路の中心の地として活用された。麻薬密輸で莫大な利益を得たエスコバルは、アンティオキアにて20平方kmもの土地を数百万ドルで購入し、そこにアスィエンダ・ナポレスを建設した。エスコバルはここに絢爛豪華な住居を構え、動物園、湖、彫刻庭園、私設の闘牛場を用意し、自身の家族やメデジン・カルテルのための娯楽施設も建設した。 麻薬流通網が有名になるにつれて、エスコバルの名も急速に国際的に知られるようになった。メデジン・カルテルは、アメリカ合衆国、メキシコ、ドミニカ共和国、ベネズエラ、スペインに流入する麻薬の大部分を管理していた。生産工程も変化し、近隣諸国で生産されたコカインに比べて、品質が低水準と見られ始めたコロンビア産のコカインに代わり、ボリビア産やペルー産のコカインが広まるようになった。より量が多く、より効き目の強いコカインへの需要が高まるにつれて、エスコバルはロベルト・スアレス・ゴメス(Roberto Suárez Goméz)と協力するようになった。南北アメリカ大陸やヨーロッパ圏の国々への麻薬の密輸の増加が促進され、いずれアジアの国々にまで届くようになる、と噂されるようになった。
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