麻の樽の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 05:13 UTC 版)
「第一次レキシントンの戦い」の記事における「麻の樽の利用」の解説
9月20日早朝、ハリスの部隊は移動式の胸壁に隠れて前進した。戦闘が始まると、他の師団の州兵も麻の樽に隠れたハリスの部隊に合流した。北軍守備隊に向けた発砲量が増加した。北軍守備隊は赤熱した砲弾を前進してくる樽に打ち込んだが、前夜ミズーリ川から汲んだ水に飲まれて、その効力が失われた。午後早い時間までに転がる砦は北軍陣地に十分近くまで接近でき、南部兵が最後の突進で北軍の工作物を越えられるまでになった。マリガンは正午過ぎに降伏の条件を要請しており、午後2時までに兵士が塹壕を出て、武器を積み上げた。 アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスは、かなりの時間が経った後でその著作『連合国政府の興隆と没落』の中で、「麻の樽を利用したのは素晴らしい考えであり、タリクやサラセン人戦士を不滅にし、その名をヘーラクレースの北柱に記したのとは別物である。」と記していた。
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