麴氏高昌とは? わかりやすく解説

麴氏高昌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 03:27 UTC 版)

高昌」の記事における「麴氏高昌」の解説

麴嘉高昌王に即位すると、柔然可汗那蓋在位492年 - 506年)に臣従した。そのため、鞏顧礼と鞏義舒は韓安保に随従して洛陽に至る。 柔然始平3年508年)、柔然可汗伏図在位506年 - 508年)が高車王の弥俄突に殺されると、麴嘉高車臣従した。また、麴嘉嚈噠エフタル)に攻撃され王位不在となった焉耆(えんき)国の民衆から焉耆王になるよう頼まれたので、その第二子派遣して焉耆王として焉耆国を統治させた。 永平元年508年)、麴嘉は兄の子である左衛将軍田地太守の麴孝亮を京師洛陽)に遣わして参朝させ、内徙を求めた。そこで北魏龍驤将軍孟威涼州兵3千人をつけてこれを迎えさせた。麴嘉その後何度か遣使を送っては珠像・白黒貂裘・名馬・塩などを献上した永平3年510年)、麴嘉北魏に遣使を送って朝貢し、宣武帝在位499年 - 515年)はまた孟威遣わしてこれを労わせた。 延昌512年 - 515年)中、北魏によって麴嘉持節・平西将軍瓜州刺史拝命、泰臨県開国伯に封ぜられた。 熙平516年 - 518年)の初め、遣使朝献。神亀元年518年)冬、麴孝亮はふたたび内徙を求めたが、朝廷許可しなかった。 正光元年520年)、孝明帝在位515年 - 528年)は員外将軍の趙義らを麴嘉遣わした麴嘉朝貢不絶で、また遣使奉表し、自以辺遐、不習典誥、五経・諸史の貸出求めあわせて国子助教劉燮博士とすることを求めたため、孝明帝はこれを許した麴嘉が死ぬと孝明帝彼に鎮西将軍涼州刺史贈ったまた、子の麴堅立ったが、後に関中で賊乱が起きたため、使命遂に途絶える普泰元年531年)、麴堅が遣使朝貢したため北魏は平西将軍瓜州刺史・泰臨県伯とした。また加えて衛将軍とした。 永熙532年 - 534年中に至り特進儀同三司進んで郡公となる。後に遂に隔絶西魏大統14年548年)、文帝在位535年551年)は詔で麴堅世子である麴玄喜高昌王とした。恭帝2年555年)、また田地郡公麴宝茂高昌王とした。 北周武成元年559年)、その王は遣使を送って方物を献上した保定561年 - 565年)の初め、また遣使来貢

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