高麗の妓生制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 14:03 UTC 版)
高麗時代(918年 - 1392年)に、中国の妓女制度が伝わり朝鮮の妓生制度になったとされる。李能和も『高麗史』にもとづき、百済遺民の女性を飾り立て高麗女楽を習わせたことも起源の一つとしている。また、李氏朝鮮後期の学者丁茶山(1762年 - 1836年)の説では妓生は百済遺民柳器匠末裔の楊水尺(賤民)らが流浪しているのを高麗人李義民が男を奴婢に女は妓籍に登録管理したことに由来するともいう。柳田國男は妓生と日本の傀儡子は同祖と考えたが、のちに撤回した。その後、滝川政次郎なども同系説を提唱し、川村湊も性器信仰が妓生と傀儡子に共通することなどから、渡来説は有力とみている。 高麗時代の妓生は官妓(女官)として政府直属の掌学院に登録され、歌舞や医療などの技芸を担当したが、次第に官僚や辺境の軍人への性的奉仕も兼ねるようになった。
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