高槻市立磐手小学校とは? わかりやすく解説

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高槻市立磐手小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/21 10:23 UTC 版)

高槻市立磐手小学校
北緯34度51分38.8秒 東経135度37分43.5秒 / 北緯34.860778度 東経135.628750度 / 34.860778; 135.628750座標: 北緯34度51分38.8秒 東経135度37分43.5秒 / 北緯34.860778度 東経135.628750度 / 34.860778; 135.628750
過去の名称 島上郡第九大区第二小区第五番小学校
安満小学校
安満尋常小学校
三島郡磐手尋常小学校
三島郡磐手国民学校
高槻市磐手国民学校
国公私立の別 公立学校
設置者 高槻市
併合学校 島上郡成合簡易小学校
三島郡川久保尋常小学校
設立年月日 1876年12月23日
創立者 三島郡磐手村
共学・別学 男女共学
学期 2学期制
学校コード B127210005013
所在地 569-1107
大阪府高槻市安満西の町27-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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高槻市立磐手小学校(たかつきしりつ いわてしょうがっこう)は、大阪府高槻市安満西の町にある公立小学校

高槻市の北東部の住宅地、および北東部の山間部にかけての地域を校区とする。校区の面積は高槻市で一番広い。また、高槻市の公立小学校としては学校林を保有しているただ一つの学校でもある。学校林には、安満遺跡の奧の山地が指定されている。

沿革

明治時代初期の1876年に当時の島上郡安満村(町村制施行で三島郡磐手村1931年高槻町に合併)に設置された小学校を起源としている。

また当時の川久保村(町村制施行で磐手村、現在の高槻市大字川久保)にも明治時代初期に学校が設置され、磐手小学校本校との統合・分離を繰り返したのち、1931年に磐手小学校の分校となった。分校は1999年に廃止され、跡地は地域自治会が運営する川久保交流センターとなっている。

1970年代には校区の宅地開発により児童数が増加して過大規模となったため、高槻市立日吉台小学校高槻市立奥坂小学校の2小学校を分離開校させている。

高槻市では2007年以降全市立小中学校で2学期制を導入しているが、本格導入に先立つ2005年に2学期制の研究校に指定され、市内の他校に先駆けて2学期制を試行導入した。

年表

通学区域

卒業生は高槻市立第八中学校へ進学する。

交通

卒業生

関連項目

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