高校サッカー指導者への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 01:31 UTC 版)
「本田裕一郎」の記事における「高校サッカー指導者への道」の解説
1947年に、4人兄弟の長男として静岡県に生まれる。静岡県立静岡東高等学校で赴任してきた教師の影響で高校2年の終わり頃に本格的にサッカーをはじめ、順天堂大学に進学してサッカーを続けた。順天堂大学にはのちに岩手県立盛岡商業高校などのサッカー部監督を務める斎藤重信が同期におり、本田と斎藤は長年の親友となった。 大学卒業後は市原市教育委員会に所属する。ここでサッカーの普及をかねた巡回指導に従事しているうちに現場に出たくなり、市原市立五井中学校に赴任。デモンストレーションを中心にボールを止める、蹴る、フェイントなどの基本と1対1、ミニゲームなど、今でいうサッカー教室のような指導をし、教えることの楽しさに目覚めた。一方で、全国高等学校サッカー選手権大会の人気や千葉県の高校サッカー監督に刺激を受け、もっと年齢の高い選手を指導して華やかな舞台に立ちたいと思うようになった。その結果、公立高校の教員採用試験を受験して合格し地方公務員となり、新設校だった県立市原緑高校へ赴任し、サッカー部監督に就任。高校サッカー指導をスタートした。 こうしたサッカー指導者への道を「偶然の産物」だったと本田は振り返っている。
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