驚異的な記録・事実
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 11:01 UTC 版)
「ウェイン・グレツキー」の記事における「驚異的な記録・事実」の解説
年間50ゴールを上げた最年少選手 マーセル・ディオンの現役時代の年間最多ポイントは137であるが、グレツキーはNHL参加初年度でこの記録に並び、その後10シーズンに渡ってこれを下回ることがなかった。(1991-1992シーズンには及ばず121) 当時はルーキーとはみなされなかったが、参加初年度で一試合8ポイント及び7アシストを上げたのは新記録。 ボビー・オアはNHL 史上最高のプレーヤーの一人に数えることができるが、グレツキーは2年目にボビーの持つ年間アシスト記録102を上回る109を樹立し、その後1991-1992シーズンに至るまで102を下回ることがなかった。 シーズン2年目にはスーパースターと称されたフィル・エスポジトの持つ年間最多ポイント152を破る164を記録。さらにNHLの近代化以降、一試合平均2ポイントを記録した史上初の選手である。 シーズン3年目には当時破るのが不可能と考えられていた記録の数々、すなわち39試合で50ゴール、エスポジトの持つ年間76ゴール、年間200ポイントの大台などをことごとく突破した。(このシーズンは、212ポイント、92ゴール、120アシストの成績) 212ポイントを上げた前年と比較して4年目の1982-1983シーズンは、196ポイントに終わったが、それでも125アシストの新記録を樹立した。 グレツキーは、唯一の年間200ポイントを達成した選手であるが、彼は、この記録を1981-1982シーズンから1985-1986シーズンの5年間に4度達成している。 5年目の1983-1984シーズンは、51試合連続ポイントを記録。この間、61ゴール、92アシスト、153ポイントを上げ、これは実に一試合平均すれば3ポイントに当たる。なおこの期間のほとんどを肩を脱臼した状態で出場していたことは驚嘆に値する。この記録が途絶えた後は、肩の治療のため6試合休場している。 50試合以下での50ゴール到達を現役時に3度記録。(なおブレット・ハル (Brett Hull) は2度達成) シーズンを通じ一試合平均2アシストを達成したのは、1985-1986シーズンのグレツキーのみ。この期間80試合で163アシスト(一試合平均2以上のアシスト)を行いながら、かつ自ら52ゴールも上げた。 1989年は、ゴーディ・ハウのもつ現役最多ポイントの記録(26年間で1850ポイント)をわずか10年間で更新。グレツキーは10年間に渡って年間平均180ポイント以上を上げ続けた。この平均ポイントは、マリオ・ルミュー (Mario Lemieux) を除き他の選手の年間自己ベストを上回る。(ルミューの自己ベストは199ポイント) 仮にグレツキーの上げたすべてのゴールを除外したとしても、最多スコアラーとしてアート・ロス記念賞を4度も獲得できただろうし、現役最多ポイントをも獲得できたであろう。というのも、彼の1963アシスト記録は、ゴーディ・ハウの1850ポイントやマーク・メシエの1887ポイントをも上回るからである。
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