驚きの歴代王朝史
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一方で、東洋を目指した人々からも、普遍史を危機に陥れる情報がもたらされた。13世紀にマルコ・ポーロが『東方見聞録』で伝えた中国は「富と繁栄」という漠然としたイメージを残しただけであり、大航海時代に入っても当初は短期間滞在した人物の旅行記が報告される程度だった。しかし、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが中国布教の重要性を説き、宣教師らが向かい始めた。アウグスティノ派の宣教師フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサは中国布教の命を受け、明の皇帝に宛てたフェリペ2世の親書を携え、アメリカ大陸経由で中国を目指した。ところが1581年、中継地のメキシコにてマルティン・デ・ラーダの話を聞き、中国行きを断念した。彼はその判断を下した情報を『中国大王国誌』に纏め、1584年にスペイン語で出版した。 同書第1巻5章の「この国の古さについて」という章は、間接情報ながらもヨーロッパに初めて中国の歴代王朝史を伝えた。メンドーサは、中国は第一代の王ビテイ(禹)に始まり明朝第12代皇帝(万暦帝)まで、歴代の統治者が連綿と続き、おのおのの年数が細かく記録されていることを紹介した。その期間は、合計すると4269年7ヶ月間となる。万暦帝は1573年に即位しており、ここから逆算するとビテイの統治は紀元前2700年代ということになる。この数字は、ヘブライ語訳聖書を基礎とした年代学で求められた大洪水の年代である紀元前2350年頃よりも古い時代に遡ってしまい、中国史と普遍史の間に大きな矛盾が生じる。同書はヨーロッパで広く読まれ、中国の布教活動においてイエズス会宣教師は七十人訳聖書を用いる許可を申請せざるを得なかった。
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