驚きの歴代王朝史とは? わかりやすく解説

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驚きの歴代王朝史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 15:08 UTC 版)

普遍史」の記事における「驚きの歴代王朝史」の解説

一方で東洋目指し人々からも、普遍史危機陥れる情報もたらされた。13世紀マルコ・ポーロが『東方見聞録』で伝えた中国は「富と繁栄」という漠然としたイメージ残しただけであり、大航海時代入って当初短期間滞在した人物の旅行記報告される程度だった。しかし、イエズス会フランシスコ・ザビエル中国布教重要性説き宣教師らが向かい始めた。アウグスティノ派の宣教師フアン・ゴンサーレス・デ・メンドーサ中国布教の命を受け、明の皇帝宛てたフェリペ2世親書携えアメリカ大陸経由中国目指した。ところが1581年中継地のメキシコにてマルティン・デ・ラーダの話を聞き中国行き断念した。彼はその判断下した情報を『中国大王国誌』に纏め1584年スペイン語出版した同書第1巻5章の「この国の古さについて」という章は、間接情報ながらもヨーロッパ初め中国歴代王朝史を伝えたメンドーサは、中国第一代の王ビテイ(禹)に始まり明朝第12代皇帝万暦帝)まで、歴代統治者連綿と続き、おのおのの年数細かく記録されていることを紹介した。その期間は、合計すると4269年7ヶ月間となる。万暦帝1573年即位しており、ここから逆算するとビテイの統治紀元前2700年ということになる。この数字は、ヘブライ語聖書基礎とした年代学求められ大洪水年代である紀元前2350年頃よりも古い時代遡ってしまい、中国史普遍史の間に大きな矛盾生じる。同書ヨーロッパで広く読まれ中国布教活動においてイエズス会宣教師七十人訳聖書用い許可申請せざるを得なかった。

※この「驚きの歴代王朝史」の解説は、「普遍史」の解説の一部です。
「驚きの歴代王朝史」を含む「普遍史」の記事については、「普遍史」の概要を参照ください。

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