騒擾事件化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 04:45 UTC 版)
長野市入りした岩村田町民の第二陣300人は、少し遅れて到着した屋代町民400人と合流し、警察官による警備の中、城山公園に向かっていた。しかし、長野県庁付近を通った際、誰からともなく県庁に向かうよう声が上がり、興奮した群衆は警察官の制止を振り切って県庁に向かった。 県庁に着いた町民は、県庁を警備していた警察官に集団で暴行を加え、隣接する巡査教習所(今の警察学校)に投石するなど、完全に暴徒と化した。群衆は県庁を出ると、次に梅谷の住む県知事官舎を襲撃した。梅谷は居留守を使ってやりすごそうとしたが、群衆によって引きずり出され、何度も暴行を受けた。梅谷を襲った後も群衆の勢いは全く衰えず、警察部長官舎、新聞社などを次々に襲っていった。 また、二町に遅れて長野市に到着した中野町民は、岩村田・屋代町民らによる暴動の報を聞き、廃止賛成派と目された県議の私邸を襲撃した。 こうして、一通り襲った後、三町民は当初の予定通り県民大会会場に向かい、演説会を開始した。しかし、演説会のアジ演説に興奮した町民らは、示威のための県会議事堂包囲を決め、再び市の中心部へと行進を始めた。 議事堂に到着した群衆は、議事堂を包囲し、廃止反対のシュプレヒコールを上げた。そして、再び暴徒化した群衆が投石を始め、割れた窓から侵入する者も現れた。侵入した者たちは破壊の限りを尽くし、周りを取り囲む群衆の興奮も最高潮に達した。群衆は今にも議事堂に攻め入りかねない状態だったが、ここで、期成同盟側との交流があった県議が群衆の説得にあたり、寸前の所で突入は回避された。この説得をきっかけに、群衆も落ち着きを取り戻し、目立った混乱もなくそれぞれの町へと帰っていった。
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