駒橋は測量艦に類別変更されたのか
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/10 05:01 UTC 版)
「駒橋 (潜水母艦)」の記事における「駒橋は測量艦に類別変更されたのか」の解説
駒橋に関する文献やサイトの中には、「特務艦(測量艦)に類別変更された」という記述が現れる。一方で、『写真 日本の軍艦 第13巻』93ページには「類別上は最後まで潜水母艦のままであったとするのが正しいようである。」とある。 しかし、前者に関してみると、転籍日とされる1942年7月20日には、確かにこの日、海軍大臣から鎮守府、艦隊、警備府の各長官に宛てて官房機密第二九三番電が発信されているが、その中の第三項には「三. 勝力ヲ軍艦籍ヨリ」と、同じ日に測量艦に転籍した勝力とは違って駒橋の名前はない。一方、後者に関してみると、第二復員局が終戦後に編纂した「「阪復」三重県区内接収関係引渡目録」のうちの「艦艇目録」によれば、駒橋の艦種は「軍艦」であってその他の艦種にはなっていない。 海軍省が作製した「艦艇類別等級(別表)」では、駒橋は最後まで潜水母艦の欄にあり、その後の内令や達号でも帝国軍艦籍を離脱させるものは出ていない。さらに駒橋が空襲で大破着底した翌日の1945年7月29日、駒橋艦首の菊花紋章が取り外されて尾鷲市内の寺に収容されていること、8月1日付内令第697号による予備艦指定では軍艦籍にある他艦と同様第四予備艦に定められており、文書と物品の2つの面で駒橋が昭和17年7月20日以降も帝国軍艦籍のままであったことが確認できる。 軍艦籍にある艦艇が特務艦的な用途に使用された例としては、太平洋戦争中の水上機母艦能登呂があり、駒橋の場合も上に掲げた数少ない文献を見る限りでは、能登呂同様、軍艦籍にありながら特務艦的な用途で使用されていたものと考えられ、この点では水上機母艦から特務艦に戻った神威とは対照的な例となっている。
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