駄菓子屋ともんじゃ焼き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 02:02 UTC 版)
「もんじゃ焼き」の記事における「駄菓子屋ともんじゃ焼き」の解説
東京・下町の駄菓子屋には、昭和40年代(1965年 - 1974年)頃までは大抵もんじゃ焼きの鉄板があった。駄菓子屋は子供たちの社交場として機能しており、もんじゃを焼く鉄板上での陣取りはゲーム的要素のある遊びとして親しまれていたという。 昭和20年代は物資が欠乏していたため、単にうどん粉を水で溶き、ソースや醤油で味付けしただけのものが多かったが、昭和30年代になるとキャベツや中華麺などの具材が加わるようになっていった。武田尚子は自著において、1960年代頃までにみられた初期の形態を「子供もんじゃ」、1950年代に誕生した切りイカ、桜えび、肉などの具材が伴うものを「大人もんじゃ」、1980年代以降にブームとなった餅、明太子、チーズなど新しい食材を用いたものを「革新もんじゃ」と分類している。 もんじゃ焼きは東京の子供たちに広く親しまれていたが、駄菓子屋そのものの減少に加えて、食文化や嗜好の変化もあって、提供する店が激減している。近年、もんじゃ焼きは東京下町の伝統的な食べ物として全国的に認知されるようになる一方で、世相の隆盛により客層が観光客やサラリーマンなどに代わったことで単価の上昇を招いた結果、子供たちの小遣いで手の届く価格帯ではなくなってしまった。それでも下町の一部にはまだ1杯あたり80円 - 300円といった昔ながらの価格で提供する駄菓子屋もんじゃも残存している。
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