養源寺 (和歌山県広川町)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 養源寺 (和歌山県広川町)の意味・解説 

養源寺 (和歌山県広川町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/13 13:54 UTC 版)

養源寺
所在地 和歌山県有田郡広川町大字広1465-1[1]
位置 北緯34度1分44.3秒 東経135度10分28.1秒 / 北緯34.028972度 東経135.174472度 / 34.028972; 135.174472座標: 北緯34度1分44.3秒 東経135度10分28.1秒 / 北緯34.028972度 東経135.174472度 / 34.028972; 135.174472
山号 長流山
宗派 日蓮宗
本尊 十界大曼荼羅[2]
創建年 南北朝時代
開山 朗妙
文化財 安政聞録(県指定文化財
書院、公家風俗屏風(町指定文化財)
法人番号 6170005002580
テンプレートを表示

養源寺(ようげんじ)は、和歌山県有田郡広川町大字広にある日蓮宗の寺院[2]山号は長流山[3][注釈 1]

歴史

前身は鹿ヶ瀬山にあった法華寺とされる[6]。『元亨釈書』によると、法華経6万部読誦の誓いを立てていた延暦寺の僧・円善が熊野参詣の途中、肉背山(鹿ヶ瀬山)の山中で死去した[2]。その後、山中に宿した壱叡という沙門が、骸骨になっても法華経を誦える円善と出会い[7]、翌年壱叡が訪ねたところ、骸骨は消えていたという[2]。壱叡は円善を供養するためこの地に「法華壇」と呼ばれる塚を築き、南北朝時代、この塚を拝した大覚僧正が、朗妙に法華寺を建てさせたといわれる[2]

法華寺は後に田村[8](多村[2]湯浅町大字田[9])に移り、寺号を「養源寺」へと改め[10]、その後、広村の中町に移転した[8]

養源寺には日蓮の賛のある大黒天の画像があるが、これは肥前国廻船が難風に遭った際にこの大黒天に祈ったところ無事広浦に着いたというもので、大黒天がこの地に留まろうとしていたため養源寺に納められたという[2]宝永4年(1707年)に徳川吉宗が、翌年には吉宗の実母である浄円院がこの大黒天を拝した[8]正徳元年(1711年)、紀州徳川家の祖・徳川頼宣の御殿の跡地(戦国時代守護畠山氏の館があった土地[11])が養源寺に寄進され、吉宗の室である寛徳院江戸の御殿の木材を用いて諸堂が建立された[12]。吉宗が将軍となった後の享保元年(1716年)、新田1町余りが寄付され、同16年(1731年)に祈祷料として年60両が与えられることとなった[13]

吉宗が将軍になったのは養源寺の大黒天を信仰したためとして、出世大黒天と呼ばれるようになり[14]、毎年正月初めの甲子の日に大黒天が開帳される際には大いに人を集めた[13]。『紀伊国名所図会』には、山門からあふれるほどの参詣者でにぎわう様子が描かれている[2][5]

文化財

交通アクセス

脚注

注釈

  1. ^ 紀伊続風土記』や『紀伊国名所図会』では「長立山」とされる[4][5]

出典

  1. ^ 養源寺”. 百世の安堵. 広川町日本遺産推進協議会. 2024年1月10日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  3. ^ 西尾 1957, p. 39; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  4. ^ 仁井田好古ほか 編『紀伊続風土記 第二輯 伊都 在田 日高 牟婁帝国地方行政学会出版部、1910年、370頁。全国書誌番号:40009151https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/765518/237 
  5. ^ a b 大日本名所図会刊行会 編「紀伊国名所図会後編 巻之四」『大日本名所図会 第2輯 第10編』大日本名所図会刊行会、1922年、345、348–350頁。全国書誌番号: 43027732https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959923/196 
  6. ^ 西尾 1957, p. 39; 和歌山県有田郡役所 1971, p. 271; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  7. ^ 西尾 1957, p. 59; 和歌山県有田郡役所 1971, p. 397; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  8. ^ a b c 和歌山県有田郡役所 1971, p. 271.
  9. ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 622.
  10. ^ 和歌山県有田郡役所 1971, p. 271; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  11. ^ 西尾 1957, pp. 38–39; 和歌山県有田郡役所 1971, p. 390; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  12. ^ 和歌山県有田郡役所 1971, pp. 271–272; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  13. ^ a b 和歌山県有田郡役所 1971, p. 272; 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1985, p. 1060.
  14. ^ 西尾 1957, p. 39; 和歌山県有田郡役所 1971, p. 272.
  15. ^ a b c 文化財”. 広川町ホームページ. 広川町. 2024年1月10日閲覧。
  16. ^ 和歌山県立博物館 編『特別展 災害と文化財―歴史を語る文化財の保全―』(2版)和歌山県立博物館友の会、2013年、9頁。全国書誌番号: 22216034 
  17. ^ a b 養源寺(和歌山県広川町)”. じゃらんnet. 株式会社リクルート. 2024年1月10日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

  • 養源寺 - 広川町
  • 養源寺 - 百世の安堵(広川町日本遺産推進協議会)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  養源寺 (和歌山県広川町)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「養源寺 (和歌山県広川町)」の関連用語

1
56% |||||


養源寺 (和歌山県広川町)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



養源寺 (和歌山県広川町)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの養源寺 (和歌山県広川町) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS