理子女王とは? わかりやすく解説

理子女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/16 02:17 UTC 版)

理子女王(まさこじょおう、元禄4年8月18日1691年9月10日) - 宝永7年6月4日1710年6月30日))は、江戸時代中期の女性。伏見宮貞致親王の王女で、後に江戸幕府第8代将軍となった徳川吉宗紀州藩第5代藩主だった頃の御簾中(正室)。


  1. ^ 高柳金芳『徳川妻妾記』(雄山閣)P171
  2. ^ 歴史読本「徳川将軍家の正室」小山譽城著『真宮理子』(新人物往来社)P125
  3. ^ 竹内誠『徳川「大奥」事典』(東京堂出版)P209
  4. ^ 『ビジュアル日本史ヒロイン1000人』P178。


「理子女王」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「理子女王」の関連用語

理子女王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



理子女王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの理子女王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS