領土編入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 05:59 UTC 版)
「ナチス・ドイツの経済」の記事における「領土編入」の解説
1935年にザールラントがドイツに復帰し、ドイツの石炭収入は飛躍的に増加した。1938年3月13日にはオーストリアが併合され(アンシュルス)、ドイツ経済域に組み込まれた。オーストリアには60万人の失業者が存在するなど不況のまっただ中であったが、ドイツは7億8200万マルク相当の金・外貨準備と水力発電を含む膨大な資源も獲得した。工業生産高が8%追加され、鉄鉱石を産するアルピネ鉱業はヘルマン・ゲーリング国家工場が獲得した。3月23日にはオーストリア経済復興令が発令され、公共事業による雇用拡充が行われた。同年11月には継続して失業している者は10万人に減少したと発表されている。しかし、オーストリアは食糧と鉱業原材料を輸入しているため、国際収支には長期的にはマイナスの影響となった。オーストリア貿易が加わることで、ハンガリーやポーランドはドイツに対する貿易依存率が増えたため、貿易条約締結につながった。 同年10月にはミュンヘン会談の結果、チェコスロバキアからズデーテン地方を獲得した。政府はこれによって同地の繊維・ガラス・陶磁器工業を手に入れた。さらに翌1939年3月にはチェコをベーメン・メーレン保護領として支配下に置き、同地の鉱山や当時世界有数の武器工場を手に入れた。また、外貨不足にあえぐドイツにとって、保護領の外国貿易は貴重な外貨供給源であった。
※この「領土編入」の解説は、「ナチス・ドイツの経済」の解説の一部です。
「領土編入」を含む「ナチス・ドイツの経済」の記事については、「ナチス・ドイツの経済」の概要を参照ください。
- 領土編入のページへのリンク