韓国球界復帰後
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2007年からはKBOのSKワイバーンズ監督に就任し、期待通り前年6位に低迷したチームを再建。戦力補強も成功してシーズン序盤から首位を守り、球団史上初の公式戦優勝を達成して、自身2度目の韓国シリーズに進出。そして、斗山ベアーズとの対決となった韓国シリーズでは先に2敗をしたが、その後の4連勝で悲願の韓国シリーズ優勝を果たし、ついにこれまで付き纏っていた「優勝はできない監督」というイメージを払拭することに成功した。そして、韓国シリーズ優勝チームを率いて参戦した2007年のアジアシリーズでは、予選3試合を全勝して決勝戦に進出。日本の中日ドラゴンズを相手に善戦するも敗れて準優勝に終わった。 2008年は前年に増した圧倒的な戦いぶりを見せて、公式戦で2位に13ゲーム差をつけて韓国シリーズに直行。韓国シリーズでは、斗山ベアーズとのリターンマッチを4勝1敗で制圧して、2年連続優勝を遂げた。また、シーズン中、韓国プロ野球史上2人目の監督としての公式戦1000勝を記録した。2009年は、夏場から爆発的な勢いに乗った起亜タイガースの前に屈し、公式戦2位、韓国シリーズ準優勝に終わった。2010年は序盤から首位を譲ることなく公式戦で優勝すると、韓国シリーズでも三星ライオンズを4連勝で下し、2年ぶり3度目の優勝を飾り、SKの黄金時代を築きあげた。2011年8月17日、同年限りでの辞任を突如発表したところ、翌18日に球団から解任された。 2011年12月、2012年度からKBOの2軍リーグに参戦する高陽ワンダーズの初代監督に就任した。高陽は母体となる1軍のない、KBO球団入りを果たせなかった選手たちを集め再チャレンジをさせるための独立採算制をとった球団である。高陽が2014年限りで活動を終了すると、同年10月25日、KBOへ復帰しハンファ・イーグルスの監督に就任した。2015年は6位、2016年は7位と2年連続ポストシーズン進出はならなかった。2017年5月21日、4連敗となり順位を9位にまで落としたサムスン・ライオンズ戦後に辞意を表明し、5月23日に球団側が辞意を受け入れ、正式に辞任が決まった。日本のメディアでも、『週刊ベースボール』は事実上の更迭、『デイリースポーツ』は解任と報じている。
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