靖国神社への移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/02 08:21 UTC 版)
1898年(明治31年)には宝生会が、1900年(明治33年)には観世会が自らの舞台を建設するなど、各流派による独立興行の動きがいっそう強まるに至り、芝能楽堂での催しは激減した。 ついに能楽会では芝能楽堂の維持を断念し、能舞台の引き取りを上野博物館、華族会館、日比谷神宮奉斎会などと交渉、最終的には1902年(明治35年)靖国神社に奉納してその境内に移設し、以後は「九段能楽堂」「靖国神社能楽堂」と称されることとなった。能楽研究者の表章は、 「能楽復興のシンボルであったはずの芝能楽堂が移転して九段能楽堂とか靖国神社能楽堂とか呼ばれるようになった明治35年を、能界が後援者の意のままにはならない程度に成長した一つの節目と見ていいであろう」 と評している。 移転後も演能の機会は少なく、ことに行啓能が絶えてなってからは荒廃の一途をたどった。1923年(大正12年)の関東大震災後もしばらくは遊就館の物置代わりに使われていたが、被災した各流の舞台の代用とするため、池内信嘉や本間広清らの奔走によって1924年(大正13年)、寄付金を集めて改修されている。 1938年(昭和13年)、拝殿手前の現在地に移転された。現在は靖国神社によって「神霊を慰めるための能や日本舞踊などの芸能」に供されている。
※この「靖国神社への移転」の解説は、「芝能楽堂」の解説の一部です。
「靖国神社への移転」を含む「芝能楽堂」の記事については、「芝能楽堂」の概要を参照ください。
- 靖国神社への移転のページへのリンク