霊代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:19 UTC 版)
建国神廟の霊代(神体)は、紐付きの白銅製丸鏡である。当初は天皇からの神鏡の下賜を宮内省に申し出たが、「天孫降臨ノ事實ト似通ヒ到底受諾シ難」いとして断られ、次に皇大神宮(伊勢神宮)の分霊をうけたいと申し出たが、これも宮内省に断られた。結局、満洲国皇帝が持参した鏡に対し、伊勢神宮で所定の修祓(お祓い)を行うことに落ち着いた。 そこで満洲国は、鏡を京都の業者に調製させた。1940年(康徳7年)6月、満洲国皇帝が皇紀2600年祝賀のため来日した際、完成した銅鏡を持参して伊勢神宮・内宮を訪れ、皇帝立ち会いの下、神楽殿で神楽を奏して修祓した。修祓を受けた銅鏡は満洲国に持ち帰られ、帝宮内の神廟に安置された。また、皇帝が天皇から贈られた剣も神宝として奉納された。 第二次世界大戦後、剣は祭祀府総裁の橋本虎之助が保管していたところ、赤軍(ソビエト連邦軍)が没収した。また鏡は、引揚者とともに博多港に上陸。博多引揚援護局の確認後、行方不明となっている。
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