電波少年的スワンの旅 in the World
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:55 UTC 版)
「進ぬ!電波少年」の記事における「電波少年的スワンの旅 in the World」の解説
その後東京まで戻りゴール報告する間もなく、ニセ番組のロケでインドへと飛び立つRマニア。そして電話で「ロケの場所はインドネシアだった」と言われ、結局スワンボートでインド・コルカタ→インドネシア・ジャカルタ間を航路することになる。常人ならインドからインドネシアへ行くなんて無理だと考えるものだが、Rマニアは両国の位置関係をよく知らなかったのか「インドとインドネシアなんて兄弟みたいなものだろ」とあっさりと承諾した。そして結局インドネシアへは10か月後に無事ゴール。 ただし、この企画でもインドとバングラデシュ・バングラデシュとミャンマーの国境地帯はスワンボートによる移動ができない地域であったため、飛行機による移動とヒッチハイクがあった。特にミャンマーへのスワンボートによる入国は認められなかったことからアンダマン・ニコバル諸島を経由する経路が検討されたがあまりにも危険であるために番組として許可できないという番組史上空前の決定により陸路によるミャンマーへの入国となった。しかしミャンマーでは船による移動中、船上でカメラをまわしていた所、撮影禁止地域であったため、一時身柄を拘束され国外退去処分としてタイに出国した。 この企画の応援歌として内田有紀 supported by チューヤンによる「楽園」が制作された。ミュージックビデオは、そもそもの出発地である無人島(由利島)にて内田が歌う作品となっている。 結果的にRマニアは一連の企画で約1年半の間番組に拘束されることとなった。その後、2人は『雷波少年』の企画で競輪選手としてシドニー五輪を目指すことになるが、結局故障で断念となった。
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