陸軍第3次編制1970年から1979年
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1970年代にヨーロッパを射程圏に収める事ができるソビエト連邦軍の準中距離弾道ミサイルの配備によって、1979年12月にNATO理事会はNATO二重決定(en:NATO Double-Track Decision)で対抗する事になる。同時にワルシャワ条約機構は部隊に必要な新兵器システムを導入する。NATOは量的優勢から質的優勢を強化・追求するようになる。また、ソビエト連邦軍空挺師団による後方地域に対する脅威に対しても是正処置を講じる必要性が生じた。 第2装甲擲弾兵師団と第4装甲擲弾兵師団は猟兵師団に改編し地理的条件に対応する。これらの部隊は対空挺任務のための予備として準備される。1971年末時点で師団の下には次のような部隊が編成されていた。野戦軍には13個装甲、11個装甲擲弾兵、4個猟兵、3個空挺および2個山岳旅団があった。1975年に連邦陸軍では第7装甲師団、第10装甲師団および第12装甲師団ではいまだに三つ目の旅団では人員装備の定数不足をきたしていた。この目標は36個旅団体制の確立によって満たされた。新編成旅団は次期陸軍編制で最初の試験旅団として編成される。
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