陸奥府中
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 05:06 UTC 版)
旧称現称現在地北宮北宮神社 北緯38度20分45.7秒 東経140度59分51秒 / 北緯38.346028度 東経140.99750度 / 38.346028; 140.99750 (北宮神社(春日神社の境内社、陸奥府中の北境)) 東宮東宮神社 北緯38度18分48.2秒 東経141度2分55.9秒 / 北緯38.313389度 東経141.048861度 / 38.313389; 141.048861 (東宮神社(陸奥府中の東境)) 西宮冠川神社 北緯38度18分20秒 東経140度56分45.4秒 / 北緯38.30556度 東経140.945944度 / 38.30556; 140.945944 (冠川神社(八坂神社の境内社、陸奥府中の西境)) 南宮南宮神社 北緯38度18分20.9秒 東経140度58分15.6秒 / 北緯38.305806度 東経140.971000度 / 38.305806; 140.971000 (南宮神社(陸奥府中の南境)) 郡山遺跡の時代の陸奥国府の「府中」の範囲は不明だが、多賀城や多賀国府の時代の「府中」の範囲はおおよそ分かっている。すなわち、府中の東西南北の境界には、東宮(とうぐう)・西宮(さいぐう)・南宮(なんぐう)・北宮(ほくぐう)と呼ばれる神社が祀られており、これら4社が囲むエリアの内外に国府、国府の役人やその家族および家来や商人などが住む町、寺院・神社、街道・河川(河川港)・国府津(海港)などが集中し、陸奥国の政治・経済の中心地として室町時代まで続いた。 現在、東宮は七ヶ浜町に東宮神社として残り、南宮も多賀城市に南宮神社として残る。北宮は北宮神社(きたみや)として利府町の春日神社の境内社として残る。西宮は江戸時代に冠川明神と呼ばれ、明治期に鹽竈神社の別宮に合祀されて志波彦神社となったが、分霊が冠川神社として元の所在地にある八坂神社に境内社として戻った。4社いずれも鹽竈神社の境外末社となっている。
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