陳情と署名活動
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「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」の記事における「陳情と署名活動」の解説
横田夫妻は各機関・政治家にめぐみの救出をはたらきかけ、陳情活動を展開した。4月12日、4月13日、5月5日、夫妻は新潟市の街頭に立って救出のための署名活動を行った。5月5日には蓮池薫の両親も署名活動に参加した。横田早紀江は救出運動を始めたころを振り返り、「だれにも北朝鮮の実情を信じてもらえない時期がありました。署名の看板を『こんなものなんだ!』と叩き落されたり、『本当に拉致なんてあるんですか?』と言う人もいました。2002年に被害者5人が帰ってきて、ようやく信じてもらえた」と語っている。しかし、被害者を救おうという世論の反応も大きく、署名した人は5月5日の1日だけで5,500人、5月半ばで約4万5,000人にのぼった。書類は6月には政府に届けられた。6月7日、新潟の市民グループで組織する「横田めぐみさん・蓮池薫さん・奥土祐木子さん拉致究明救出発起人会」が新潟市の万代市民会館で「拉致救出日本人のつどい」が開かれ、百数十名が集まった。このつどいには、3人の両親と金沢市から駆け付けた寺越友枝が参席し、それぞれの思いを訴えた。桜井新の報告、佐藤勝巳の基調講演もおこなわれ、榎本尚平作詞・田澤弘子作曲の「きみにとどけ」という支援ソングが披露された。この日までに集められた署名は35万人余に達した。署名は8月には50万筆以上に達し、首相官邸に届けられた。さらに8月末には60万人、1年後には100万人以上の署名を集めた。このうち、福井県では地村保志の父地村保らの活動により、県民の約半数が署名したといわれる。
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