陳承昭とは? わかりやすく解説

陳承昭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 09:54 UTC 版)

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陳 承昭(ちん しょうしょう、896年 - 969年)は、五代十国時代南唐後周および北宋に仕えた武将[1]

生涯

陳承昭は、最初南唐の武将であり、保義軍節度使の地位にあった。955年、後周の世宗柴栄が親征して南唐を攻撃(淮南の戦い)すると、自身は濠泗楚海四州水陸都応援使に任じられ、主将として後周軍に相対し、善戦した。しかし957年、後周軍に大敗して後周の武将の趙匡胤の捕虜となり、その後、柴栄のもとに引き渡された。結果として潔く後周に投降し、後周の武将となり、右監門衛上将軍に任じられ、やがて右領軍衛上将軍に転じた。

柴栄の死後、後周が滅び、趙匡胤が即位して宋朝が成立すると、引き続き宋朝に仕え、左神武軍統軍、右神武軍統軍、右龍武軍統軍といった要職を歴任した。水利事務に精通していたこともあり、趙匡胤から重用され、主に治水や水軍調練・監督の任務を担った。

開宝2年(969年)、趙匡胤が親征して北漢を攻撃した際、自身も老齢をおして参陣し、趙匡胤に対して太原城の水攻めを献策。自ら水攻めを主導したが、惜しくも失敗に終わった。

同年、死去。享年74。死後、太子太師を追贈された。

脚注

  1. ^ https://www.easyatm.com.tw/wiki/%E9%99%B3%E6%89%BF%E6%98%AD

参考文献

  • 宋史』巻261 列伝第20

登場作品


陳承昭(演:呂寧)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:16 UTC 版)

大宋伝奇之趙匡胤」の記事における「陳承昭(演:呂寧)」の解説

もとは南唐枢密使大将軍として水軍統括していた。西暦957年後周との戦い敗れ、その捕虜となり死を覚悟したが、趙匡胤直説得され後周投降後周将軍となる

※この「陳承昭(演:呂寧)」の解説は、「大宋伝奇之趙匡胤」の解説の一部です。
「陳承昭(演:呂寧)」を含む「大宋伝奇之趙匡胤」の記事については、「大宋伝奇之趙匡胤」の概要を参照ください。

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