関西テレビからの退社・フリーアナウンサーへ転身
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「山本浩之 (アナウンサー)」の記事における「関西テレビからの退社・フリーアナウンサーへ転身」の解説
関西テレビ(KTV)は2013年2月20日に、山本が同年3月31日付で退社することを発表した。山本自身は、退社を決めた理由として、「2012年に50歳を迎えたことを機に、今後のアナウンサー人生について想いを巡らせた結果、これまでやったことのない様々な仕事に挑戦してみたくなった」「(学生時代から関心の高かった)ラジオ番組で活動したい」と述べている。 同年4月1日からは、『アンカー』のアンカーマンを続投する一方で、山本の妻が社長を務める個人事務所「PH(ピーエイチ)カンパニー」所属のフリーアナウンサーとして活動。フリーアナウンサー転身初日の4月1日(月曜日)には、『スーパーニュースアンカー』の本番前に、『子守康範 朝からてんコモリ!』(毎日放送平日早朝の生ワイド番組)→『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(朝日放送平日午前の生ワイド番組)→『上泉雄一のええなぁ!』(毎日放送平日の生ワイド番組)の順にゲストで出演した。 テレビでは、同年4月5日(金曜日)に毎日放送のスポーツ情報番組『カワスポ』の第1回へ出演したことを皮切りに、(KTVを含む)フジテレビ系列局以外の放送局制作の番組にも登場。転身後の半年間は、『アンカー』のアンカーマンとしての活動を優先するため、他の番組にはKTV時代と同じくゲストで出演することが多かった。 その一方で、2013年6月16日からは、大学の先輩・やしきたかじんが「委員長」を務める『たかじんのそこまで言って委員会』(隔週金曜日に収録する読売テレビ制作の討論バラエティ番組)に「副委員長」として登場。当時、病気療養中だったたかじん及び、それまで「副委員長」として出演していた辛坊治郎の代理扱いながら、KTV以外の放送局で初めてレギュラーを務めることになった。なお、たかじんが2014年1月3日に死去した直後には、特別番組『たかじん追悼スペシャル そこまで逝って委員会』(同月25日放送)で辛坊・宮根誠司(朝日放送出身のフリーアナウンサー)と共に司会を担当している。
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