開発完了後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 07:59 UTC 版)
開発は遅延し、1号機が NCAR に納入されたのは1993年5月であった。設計上は最大16プロセッサまでとなっていたが、NCAR に納入されたマシンは4プロセッサで、メモリは128メガワード(ワード長は64ビットなので、6GB)であった。納入後、平方根コードにバグがあり、4つのCPUのうちの1つが不安定であることが分かった。どちらの問題にも部品交換で対応予定だったが、実際には交換は行われなかった。NCAR は代金支払いを拒否し、クレイ・コンピュータ社は1995年、約3億ドルの負債を抱えて倒産した。NCAR に納入されたマシンは公式には即座に廃棄となったが、実際にはプロセッサを2個取り除いて、その後も非公式に使われ続けた。 Cray-3 は7台が製造されたが(ほとんどは2CPUのマシン)、NCAR 以外には納入されなかった。そのうち3台は Cray-4 プロジェクトで使われた。Cray-4 は Cray-3 の設計を踏襲し、64プロセッサを1GHzで駆動する計画であった。また、別の1台は Cray-3/SSS プロジェクトで使われた。こちらは、SIMD型の超並列マシン開発プロジェクトである。 Cray-3 の失敗は、マシン自体に問題があったというよりも、政治情勢や技術的情勢の変化によるところが大きい。開発中にワルシャワ条約機構が崩壊して冷戦が終わり、大規模スーパーコンピュータ市場は急激に小さくなった。同じころ、超並列マシンが台頭してきた。クレイは、超並列の考え方には批判的であり、並列性を引き出すプログラミング技術の実用化は難しいという旨の言葉がウォールストリート・ジャーナルにも掲載されたことがある。彼は「私が生きている間に彼らが普遍的成功を収めるのは難しいと思う」と述べたが、突然の自動車事故によってそれが真実になってしまった。
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