開催権返上に至る経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 04:20 UTC 版)
「1940年札幌オリンピック」の記事における「開催権返上に至る経緯」の解説
当時、前年に始まった日中戦争の戦局がますます激化・泥沼化していくなか、陸軍を中心に物資調達面の障害になることを懸念されたことや、日中戦争の交戦国である中華民国の選手団の出場問題などを巡り、国の内外から開催反対の意見が相次いだ。この他前述のIOCとFISのアマチュア規定をめぐる対立に伴い、スキー競技を行わない方針もあり大会の失敗も危惧された。 日本側も欧米各国のスキー連盟役員らにスキー競技の復活を訴えかけ賛同を得ていた一方、国家総動員体制のもと大会に否定的な状況となり日本政府からの大会補助金の決定が進まず開催の是非は政府の判断次第となり、1938年7月14日に厚生省の会議で開催権返上を決定し翌日の閣議で返上を正式決定、16日に開催中止し17日に実行委員会を解散した。
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