閉鎖以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/23 17:24 UTC 版)
閉鎖以降、跡地は更地になり「蚤の市」として機能した。 1987年(昭和62年)9月14日、同地に地上8階・地下2階の「浅草電気館ビル」を建設しようという計画に反対し、東京都と台東区に「おかみさん会」が陳情書を提出した。その後、「株式会社電気館」が建築主、「株式会社高村デザイン事務所」が設計して、商住複合施設「電気館ビル」が完成し、商業部分は「電気館フードコート」となった。 1999年(平成11年) 8月23日、郵政省から「20世紀デザイン切手シリーズ第1集」10種のうちの一つとして電気館の写真を用いた80円切手「常設映画館「電気館」開業」(総合デザイン/郵政省技芸官:森田基治)が発行された。 2000年(平成12年)7月に浅草にオープンしたテプコ浅草館の2階に大正時代の電気館のジオラマが常設展示された。ただしこの施設は2011年に閉鎖されている(運営会社であった東電ピーアールの記事も参照のこと)。
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