閉鎖寸前のニューヨーク証券取引所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 00:14 UTC 版)
「1907年恐慌」の記事における「閉鎖寸前のニューヨーク証券取引所」の解説
10月24日、米財務省やロックフェラーからの資金供給があったにもかかわらず、銀行・信託各社は取り付けを恐れ手元の現金残高を守ろうとしたため、それまで日々の株取引を促進するために行われていた短期貸付の金利が高騰した。この資金供給の欠乏により、木曜昼には株価暴落の兆候が見え始めた。10月24日木曜日午後1時30分、ニューヨーク証券取引所会長のランサム・トーマスはモルガンの事務所に駆け込み「証券取引所を早く閉めなければならない」と話したがモルガンは取引所をいつもより早く閉めたりしたら市場はかえって大混乱に陥ると語気を強めた。 トーマス会長が取引所に戻って直ぐ、モルガンはニューヨーク各銀行の頭取たちにモルガンの事務所に至急集まるように要請した。2時すぎに事務所に集まった頭取たちを前に、モルガンは10分以内に2500万ドルを用意しないと少なくとも50の証券会社が営業停止に追い込まれると伝えた。これに受け、2時16分までに14の銀行頭取が取引所閉鎖を回避するためとして計2360万ドルを用意した。現金は2時30分に取引所に運び込まれ、30分後の3時に定時で取引所が閉まったときには1900万ドルが貸し出されていた。このマネー・プールにより、取引所閉鎖の危機は回避された。午後7時ごろ、事務所を後にしようとしたモルガンは、普段は避けるマスコミに自分から近づいてこう話した「みんなが銀行にカネを預けたままにしてくれれば、なにもかも丸く収まるんだよ。」 10月25日金曜日も、取引所には「つぎはあの会社が危ない」などといった噂が飛び交い、市場の現金は枯渇していた。モルガンは再度主要行頭取らと会合をもち2度目のマネープール構築を要請した。だがこのときは各行とも幾分拠出を渋り、結局集まったのは970万ドルであった。モルガンは支出の条件として、この資金は信用売りには使わないこととした。金曜日の取引所全体の出来高は木曜の3分の2程であったが、モルガンのマネープールで資金需要は満たされ、破綻する証券会社もなくなんとか終業ベルを迎えることができた。
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