門司城の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:23 UTC 版)
詳細は「門司城の戦い」を参照 .mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 門司城をめぐって攻防戦を続けた毛利元就(左)と大友義鎮(宗麟)。 1551年(天文20年)、大内義隆が重臣陶晴賢の謀反(大寧寺の変)によって自害した。陶晴賢は、豊後国の大友義鎮(宗麟)の弟大友晴英(大内義長)を大内氏の当主に迎えた。しかし、陶晴賢は、1555年(弘治元年)、大内義隆の遺臣毛利元就に攻められて敗死し、大内義長も1557年(弘治3年)、元就によって自害させられた。この時、大友義鎮が弟義長の救援に行かなかったのは、毛利との密約に基づき、北九州の大内領を大友氏が継承することを期待していたからのようである。 しかし、大友氏と毛利氏との間では、間もなく門司城をめぐる奪取合戦が繰り返された。1558年(永禄元年)6月、大友軍が守る門司城を、毛利方の小早川隆景が攻め取り、1559年(永禄2年)9月、大友軍がこれを奪還して城番怒留湯(ぬるゆ)主人(もんど)を置いたが、毛利方の仁保隆慰がその年あるいは翌1560年(永禄3年)、門司城を再度奪還した。その後も毛利と大友との門司城攻防戦は続くが、有名なのは1561年(永禄4年)の合戦である。その内容については大友方の史書と毛利方の史書で異なるが、毛利方が守る門司城を大友方が攻めたことが分かる。大友軍は苦戦し、最終的に門司から撤退を余儀なくされた。門司城は、戦略上の要地であり、関門海峡・瀬戸内海の制海権を握ることにもなったため、毛利氏・大友氏とも、この城の確保にこだわった。 大友義鎮は将軍足利義輝に働きかけて外交戦に訴えた。幕府の仲介により、1564年(永禄7年)、和平が成立し、毛利が門司城を確保しつつ、その他の九州から手を引くこととなった。毛利家の門司城城督は、仁保隆慰とその子仁保元豊が務めたと見られる。その後、毛利氏から大友氏に帰順した高橋鑑種が小倉城に配され、門司城を度々攻撃した。1571年(元亀2年)、門司城は鑑種勢に攻略され、翌1572年(元亀3年)、毛利氏がこれを回復したようである。
※この「門司城の戦い」の解説は、「門司の歴史」の解説の一部です。
「門司城の戦い」を含む「門司の歴史」の記事については、「門司の歴史」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から門司城の戦いを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 門司城の戦いのページへのリンク