長老時代
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1909年(明治42年)に長老の按手礼を受ける。五所川原、八戸、藤崎、大館、青森、札幌、小樽、室蘭、大泊、豊原(樺太)、名古屋、青山、世田谷などの教会で牧会をする。 名古屋教会時代は、愛知県廃娼運動の理事長を務める。 また神の国運動の委員長も務め、青山教会時代には日本メソジスト教会東京部長になる。 その頃、1933年(昭和8年)に日本ホーリネス教会の分裂事件が起こり、吉崎はホーリネス監督中田重治の旧知であったので、日本メソジスト教会監督赤澤元造、阿部義宗、渡辺善太らと共に、吉崎も和解のために尽力する。
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長老時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:55 UTC 版)
1872年に横浜居留地に日本基督公会(現・日本キリスト教会横浜海岸教会)を設立して、奥野昌綱と共に長老になる。1873年2月にディビッド・タムソンと共に東京築地に転居する。後任の長老は本多庸一になる。 同年明治政府がキリスト教禁制の高札を撤廃すと、9月設立された東京基督公会(新栄教会)の長老兼伝道師になる。 奥野昌綱と共に、1873年(明治6年)10月より日本最初の伝道旅行を始める八王子で伝道を始めて、牛込教会、浅草教会を設立する。
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