鎮台制から師団制へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 03:48 UTC 版)
「大日本帝国陸軍の歴史」の記事における「鎮台制から師団制へ」の解説
西南戦争後も明治政府は朝鮮半島への進出の機会をうかがっていたが、1875年9月の江華島事件、1882年7月の壬午事変、1884年12月の甲申政変を経て李氏朝鮮とその背後にある清との関係は武力衝突にまで発展するほど悪化した。 1882年、陸軍は朝鮮半島めぐる時局変化の要求に従い、軍備拡充計画を立案、1884年から十ヵ年計画で進める予定でいた。つまり外征を目的とした近代軍備を整備し大幅な増強を図ろうとした。1888年(明治21年)5月12日、鎮台制は廃止となり新たに師団制が採用された。1889年1月には徴兵令の大改正も行なわれ、戦時には平時の3倍の兵員を動員・組織できるように計画を進めた。これらの改革により統帥、近代兵備、教育訓練等を充実させ外征軍としての実力を備えた。
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