鎮台兵力の充足
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1875年(明治8年)4月7日改訂の「六管鎮台表」によれば、第1師管には歩兵第1連隊、第2師管には歩兵第2連隊、第3師管には歩兵第3連隊が設けられた。歩兵以外には、騎兵第1大隊、砲兵第1大隊、工兵第1小隊、輜重兵第1小隊、預備砲兵第1大隊、預備工兵第1小隊が配属された。預備砲兵・工兵は「予備」ではなく「預備」の字である。さらに品川、横浜、新潟には海岸砲隊が置かれ、人員の総数は平時6900人、戦時1万0050人である。 ただこれは予定であり、部隊・定員が充足していたわけではない。鎮台条例制定時には歩兵連隊はなく、歩兵第1連隊が1874年1月、第2と第3は同年12月(または11月)に編成された。海岸砲隊についても1875年末まで動きがなかった。 1877年(明治10年)に起きた西南戦争は、鎮台制下最大の戦争となった。このとき東京鎮台の司令部は動かず、部隊を抽出して九州に送り出した。
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