鎮南王時代とは? わかりやすく解説

鎮南王時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 16:42 UTC 版)

テムル・ブカ (淮王)」の記事における「鎮南王時代」の解説

テムル・ブカはセチェン・カアン(世祖クビライ)の庶子一人、鎮南王トガンの第4子として至元23年1286年)に生まれたテムル・ブカ前半生については記録がなく、史書テムル・ブカの名が表れるうになるのは泰定年間からのこととなる。テムル・ブカの父のトガン与えられた「鎮南王」位は初め長男ラオジャン承襲し、その死後次男のトク・ブカが承襲していた。しかしそのトク・ブカもまた早世し、その子ボロト・ブカがまだ幼かったため、泰定3年1326年)にテムル・ブカが鎮南王位を承襲することとなった天暦元年1328年)、イェスン・テムル・カアンの死後アリギバ天順帝)を支持する上都派とトク・テムル(後の文宗)を支持する大都派との間でカアン位を巡って内戦勃発し最終的に大都派が勝利を収めた大都派の勝利後、テムル・ブカ上都派について敗れた梁王オンシャン奴婢大都派の中心人物エル・テムルとともに下賜されており、テムル・ブカもまた大都派の中心人物一人であったと見られる上都派との争い勝利し一度即位したトク・テムルであったが、兄のコシラモンゴリア支持得て南下しようとしていたため、コシラカアン位を譲ることとなったコシラ合流するためにトク・テムル上都方面向かったが、これにテムル・ブカ同行していた。コシラとの合流後上都近郊のオングチャド(王忽察都)で諸王大臣集めて宴会開かれたが、この宴会中にコシラ急死したコシラはその即位によって実権を失うのを恐れたエル・テムルによって毒殺されたという説が有力であり、これによってトク・テムルがジャヤガトゥ・カアンとして改め即位した

※この「鎮南王時代」の解説は、「テムル・ブカ (淮王)」の解説の一部です。
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