鎮南王時代
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「テムル・ブカ (淮王)」の記事における「鎮南王時代」の解説
テムル・ブカはセチェン・カアン(世祖クビライ)の庶子の一人、鎮南王トガンの第4子として至元23年(1286年)に生まれた。テムル・ブカの前半生については記録がなく、史書にテムル・ブカの名が表れるようになるのは泰定年間からのこととなる。テムル・ブカの父のトガンに与えられた「鎮南王」位は初め長男のラオジャンが承襲し、その死後次男のトク・ブカが承襲していた。しかしそのトク・ブカもまた早世し、その子のボロト・ブカがまだ幼かったため、泰定3年(1326年)にテムル・ブカが鎮南王位を承襲することとなった。 天暦元年(1328年)、イェスン・テムル・カアンの死後にアリギバ(天順帝)を支持する上都派とトク・テムル(後の文宗)を支持する大都派との間でカアン位を巡って内戦が勃発し、最終的に大都派が勝利を収めた。大都派の勝利後、テムル・ブカは上都派について敗れた梁王オンシャンの奴婢を大都派の中心人物エル・テムルとともに下賜されており、テムル・ブカもまた大都派の中心人物の一人であったと見られる。 上都派との争いに勝利し、一度は即位したトク・テムルであったが、兄のコシラがモンゴリアで支持を得て南下しようとしていたため、コシラにカアン位を譲ることとなった。コシラと合流するためにトク・テムルは上都方面に向かったが、これにテムル・ブカも同行していた。コシラとの合流後、上都近郊のオングチャド(王忽察都)で諸王大臣を集めて宴会が開かれたが、この宴会中にコシラは急死した。コシラはその即位によって実権を失うのを恐れたエル・テムルによって毒殺されたという説が有力であり、これによってトク・テムルがジャヤガトゥ・カアンとして改めて即位した。
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