銀林綱男
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銀林 綱男(ぎんばやし つなお、1844年5月6日(弘化元年3月19日[1])- 1905年(明治38年)9月20日[2])は、幕末の尊攘運動家、明治期の内務官僚・実業家。官選埼玉県知事。孫に数学者の銀林浩、曾孫に政治家の片山さつきがいる[3]。同郷の前島密と親交があった[3]。
注釈
脚注
- ^ a b c 『人事興信録 明治36年4月刊行』人事興信所、1903年、p.1006
- ^ a b c 『日本人名大辞典』659頁。
- ^ a b @katayama_s (2021年10月23日). "午後6:13 · 2021年10月23日". X(旧Twitter)より2024年6月9日閲覧。
- ^ a b c 『新編日本の歴代知事』308頁。
- ^ 『官報』第2832号、明治25年12月5日、p.37
- ^ 『官報』第3175号、明治27年2月1日
- ^ 制限選挙期における東京市会議員総選挙の結果について(櫻井良樹)
- ^ 『東京市会史 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『東京市会史 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『東京市会史 第3巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『官報』第183号「叙任」1884年2月12日。
- ^ 『官報』第3199号「叙任及辞令」1894年3月1日。
- ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
- ^ 『官報』第1935号「叙任及辞令」1889年12月9日。
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