栗原浩とは? わかりやすく解説

栗原浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/31 09:07 UTC 版)

栗原 浩
くりはら ひろし
生年月日 1900年1月16日
出生地 埼玉県北埼玉郡原道村
(現・加須市
没年月日 (1978-08-24) 1978年8月24日(78歳没)
出身校 早稲田大学高等師範部中退
所属政党 自由民主党
称号 勲一等瑞宝章

第45-48代(公選 第4-7代)埼玉県知事
当選回数 4回
在任期間 1956年7月13日 - 1972年7月12日
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栗原 浩(くりはら ひろし、1900年明治33年〉1月16日 - 1978年昭和53年〉8月24日)は、日本政治家埼玉県知事などを歴任した。

略歴

埼玉県北埼玉郡原道村(現・加須市)出身[1]。私立埼玉中学校(現・埼玉県立不動岡高等学校)を卒業。早稲田大学高等師範部(現・早稲田大学教育学部)を中途退学。

この間、知事室長、出納長、副知事等を歴任。
  • 1956年(昭和31年) - 埼玉県知事選挙に自由民主党公認で出馬。日本社会党の出井治人を下し初当選。埼玉県知事に就任する。
  • 1960年(昭和35年) - 埼玉県知事選挙で再選。
  • 1964年(昭和39年) - 埼玉県知事選挙で3選。
  • 1968年(昭和43年) - 埼玉県知事選挙で4選。
  • 1972年(昭和47年) - 埼玉県知事選挙に出馬せず、退任。
  • 1978年(昭和53年) - 死去。78歳没。

知事引退後、埼玉医科大学理事長、校外教育協会会長、社会福祉協議会会長、共同募金会会長を歴任。県知事の職に4期16年間あり、長期政権であった。県知事であった時期と高度経済成長期が重なったこともあり、任期中には住宅・工業団地や鉄道・道路の整備に努めたほか、1963年には「総合開発計画」を決定した[2]。また、1972年に勲一等瑞宝章を授与された。

脚注

  1. ^ 市報かぞ 平成22年12月15日号 (PDF) p.28(裏表紙) - 加須市役所ホームページ
  2. ^ 「新編 埼玉県史 通史編7」p767-773、「埼玉の100人(政治編)」埼玉グラフ。

参考資料

公職
先代
大沢雄一
埼玉県知事
公選第4 - 7代:1956年 - 1972年
次代
畑和




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