銀座教会時代
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1941年日本メソジスト教会銀座教会の牧師に就任する。また、日本基督教団成立の際に、第2部に所属する。 1942年のホーリネス弾圧事件の際に、1944年11月の第8回公判で、桑田秀延と共に出廷した。桑田はホーリネス系が正統派教会であることを否定したが、渡辺は「日本聖教会は正統派ですか。」との問いに対して「そうです」と明確に答えている。 1959年に米田勇(米田豊の子)により「中田重治伝」が出版された時に「中田重治とそのホーリネス運動」という文を載せて、中田重治について功罪評価を述べている。 1963年、長年の神学の研究の功績が認められて東京神学大学から名誉神学博士の学位を受ける。1964年には、日本キリスト教文化協会より、キリスト教功労者を受賞する。1966年、聖書学研究における新分野開拓の功により、勲三等旭日中綬章を授けられる。 1978年7月26日、老衰のため死去、享年92歳。葬儀は晩年名誉牧師を務めた日本基督教団・銀座教会にて行われ、青山霊園にある銀座教会墓地に埋骨された。遺骨は、渡辺家代々の菩提寺からの、是非にという依頼で、その寺にある。
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