銀座煉瓦街の最期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 05:02 UTC 版)
当初の建物は次第に建て替えられたり、改修されたりしていったが、大正時代までは残っている建物が多かった。しかし、関東大震災で煉瓦造の建物は亀裂などの被害を受け、続いて起こった大火災により、小屋組・床などの木部を焼失、煉瓦壁だけが焼け残る状態となった。こうして銀座煉瓦街は姿を消した。平野園の前に植えられていた銀座で最古の街路樹、イチョウの樹も震災により焼失した。 銀座煉瓦街の建物、街並みの様子は江戸東京博物館の展示で知ることができる。 長い間、煉瓦街の遺構は全く残っていないとされていたが、工事現場から煉瓦壁の一部が見つかっており、これも江戸東京博物館に展示されている。また煉瓦街跡に建てられた飲食店「煉瓦亭」の内壁に、掘り出された当時の煉瓦が一部使われている。
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