鉛同位体比の測定による銅産出地説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:19 UTC 版)
「青銅器」の記事における「鉛同位体比の測定による銅産出地説」の解説
東京国立文化財研究所の馬淵久夫(保存科学部長)により2,500点もの銅器の鉛同位体比が測定され、弥生期の鉛(銅の産地と一致すると仮定した上で)の素材供給地の変遷が調べられた。その結果、弥生初期では朝鮮半島から供給され、やがて中国・華北地方へと移行したと結論。その境界は前108年(紀元前1世紀)、漢の武帝による楽浪郡の設置に当たった時期としている。華中・華南の原料が使用されるようになったのは古墳時代からであり、この時代となると、華北原料は全く認められなくなる。この見解に従うなら、弥生中期から後期にかけての日本の銅器原料は中国華北地域ということになる。 2007年に韓国立慶尚大学招聘教授の新井宏が発表した研究結果では、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、中国最古の王朝とされる商(殷、紀元前17〜11世紀)や西周(紀元前12〜8世紀)の時代に多く見られる青銅器と鉛同位体比が一致することが判明し、極めて特殊な鉛の種類が含まれていたという。 この鉛同位体による青銅器の産地比定説に関しては、批判論文もあり、イギリスの論文では、鉛に熱を加える際(金属加工で溶かした場合)、同位体が変わってしまうという主張がなされている(『歴史読本 1996年4月号』 新人物往来社 p.31)。
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