金経済圏:太平洋に乗り出した内陸勢力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/05 16:22 UTC 版)
「東北地方の経済史」の記事における「金経済圏:太平洋に乗り出した内陸勢力」の解説
江戸時代になると、日本の中心地が京から江戸に東遷して地政学が変化した。奥州街道の整備によって陸上交通は江戸へ向いた形に再編され、奥州街道につながる街道が集約する南東北の太平洋側(宮城県、福島県中通りなど)が、陸上交通の経済において優勢になった(陸前浜街道はあまり利用されなかった)。 参勤交代によって江戸に人口が集中して大消費地となると、関東のみの生産力では食料や日用品が賄えなくなり、江戸への物流ルートとして、親潮域の三陸海岸から太平洋岸を南下し、銚子から利根川を遡り江戸に到る水上輸送が盛んになった。寄港地はそれまで漁港レベルだったものから港町へと大いに発展した。特に、1626年の北上川改修完成以降は、北上川河口の石巻に北上盆地からも川船で米が集まるようになり、石巻は太平洋側の重要拠点港となった(→仙台湾#仙台湾の港の歴史)。 奥州街道と太平洋岸海運によって、東北地方内陸部は江戸の“金”使い経済圏(計数貨幣)に組み込まれた。
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