金武村時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 03:40 UTC 版)
1908年:島嶼町村制で金武間切から金武村となる 1915年:大正天皇の即位を紀念した「紀念道路」が開通(現在の町役場前と国道329号の間を通り、金武郵便局からうしなー社交街に至る道路。一部は町役場来庁者用駐車場となっている) 1931年:當山久三像建立(太平洋戦争時、金属回収のため撤去されたが、1961年に再建) 1945年6月:屋嘉区に日本軍捕虜収容所が設置される。約1万人の日本軍捕虜が収容された。ここに収容されていた捕虜たちが空き缶と木材とパラシュートのひもで自作したカンカラ三線を弾いて歌ったのが、民謡「屋嘉節」のはじまりである。 1946年:避難民収容所の「宜野座市」があった金武村北部の4字が分立し宜野座村となる 1947年:中川小学校創立 1948年:金武中学校創立 1961年:米軍用地として接収された土地にキャンプ・ハンセンが完成する 1964年:金武出身の松岡政保が琉球政府行政主席に任命される 1972年:本土復帰を記念して金武・並里大綱引きが9年ぶりに開催される 1975年:沖縄自動車道が開通、「金武IC」が置かれる(当時は許田 - 石川間。1987年に那覇まで開通) 同年、有線放送電話事業を開始 1977年:第1回金武村まつり(現・金武町まつり)開催 1978年:村章(現・町章)制定
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