重装歩兵と擲弾兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:50 UTC 版)
「カール・テオフィル・ギシャール」の記事における「重装歩兵と擲弾兵」の解説
当時の軍隊では、胸甲騎兵のような例外を除いてすでに鎧は廃れていた。しかし長銃身のマスケットを担ぎ、加えて銃剣、短剣、60発分の弾薬の入った薬包鞄、その他の個人装備を一身に負わねばならない歩兵の負担はかなりのものだった。ところがギシャールはその著書の中で、現代の歩兵が被っている苦労などは古代ローマの軍団兵が耐えていた苦労とは比べ物にならないと主張していた。 ギシャールがいつものように大王の元を訪れた58年のある日のこと、2人が歓談している部屋に近衛連隊の擲弾兵が完全装備で入ってきて、その装備品を逐一部屋の中に並べると、無言のまま去った。大王はおもむろにギシャールを部屋の真ん中に立たせると、彼を教練中の兵のように扱って、兵が置いていった装備品を装着するように命じた。大王はギシャールの顎を押し上げて頭の位置を正し、帽子を押し被せた。ギシャールは剣帯を吊るし、鞄と雑嚢を肩に掛けると、最後にマスケットを受け取って、そのまま訓練姿勢を取らされた。この「教練」が行われたのは1時間足らずに過ぎなかったが、ギシャールはすっかり疲れてしまい、「敗北を認めざるを得なかった」(ダフィー) このあと、ギシャールはカットに対して「ティベリウスならば私をこんな風に扱うことはなかったろうに」と嘆き、怒りを露わにして「彼は哀れみも人間味も感じないのだ。私は彼の哲学者の称号を取り去らねばならない」と言った。一方、大王はカットに次のように述べた。「検証があってはじめて自分は物事を正しく判断できているということを、君も認めるだろう。我らの友人たる著作者たちは、彼らの研究に則って物事を定めるが、彼らの考えが実際の経験によって修正されるのは良いことだ。……もし我らが大尉が、先ほどの経験の後でもなお軽々しく同じことを書くならば、彼はもう判断力を失っていることになろう……それは悲しいことではないか」
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