都祁の氷室とは? わかりやすく解説

都祁の氷室

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 08:52 UTC 版)

闘鶏大山主」の記事における「都祁の氷室」の解説

『日本書紀』第十一によると、仁徳天皇62年推定375年)、額田大中彦皇子(ぬかた の おおなかつひこ の みこ)は闘鶏(つげ)に狩猟に出かけた折、野原中に廬(いお)のようなものがあるのを発見して、人を遣わして報告させると、窟(むろ)だということだった。そこで、土地支配者である闘鶏大山主呼び出して、それが何であり、どのような目的使用するものかを尋ねた闘鶏」(つげ)は大和国山辺郡地名で、奈良県旧都、現奈良市に当たる)。 「因(よ)りて闘鶏稲置大山主(つけ の いなき おおやまぬし)を喚(め)して、問ひて曰(のたま)はく、 (額田:)『其(か)の野の中有るは、何の窨(むろ)ぞ』(あの野の中にあるのは何のあなだ)とのたまふ。 (大山主:)啓(まう)して曰(まう)さく、『氷室なり』とまうす。 皇子の曰(のたま)はく、『其の(をさ)めたるさま如何(いか)に。亦(また)奚(なに)か用(つか)ふ』(収蔵したさまはいかなるものなのか、また何に用いるのか)とのたまふ。 (大山主:)曰(まう)さく、『土を掘ること丈(ひとつゑ)余。(かや)を以て其の上(ふ)く。敦(あつ)く(ちすすき)を敷きて、氷を取り其の上に置く。(土を一丈(約3メートル)あまり掘りその上にしてかぶせて、厚くちがやや敷いて、氷を取りその上に置きます。) 既に夏月(なつ)を経(ふ)るに泮(き)えず。其の用(つか)ふこと、即(すなは)ち熱き月に当りて、酒に漬(ひた)して用(つか)ふ』(既に夏を越していますが、消えません。暑い月に酒にひたして使います)とまうす」 以上のようなやりとりがあり、氷室どのように氷を貯蔵すればよいのか理解した額田大中彦皇子は、其の氷を天皇献上した以後朝廷では季冬師走)には氷を貯蔵し春分如月)にくばるようになった、という。。 奈良市京都市など全国氷室神社では大山主は、額田大中彦皇子仁徳天皇並んで祭神となっている。また、長屋王氷室持ち牛乳飲んでいたのは有名だが、都祁氷室使用していたことが木簡から判明している。

※この「都祁の氷室」の解説は、「闘鶏大山主」の解説の一部です。
「都祁の氷室」を含む「闘鶏大山主」の記事については、「闘鶏大山主」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「都祁の氷室」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「都祁の氷室」の関連用語

都祁の氷室のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



都祁の氷室のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの闘鶏大山主 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS