都祁氷室
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:40 UTC 版)
『日本書紀』の仁徳天皇62年(374年)の記述に、額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)が、現在の奈良県都祁村(つげむら)にあたる、闘鶏(つげ)というところに猟に出かて氷室を発見するくだりがある。闘鶏稲置大山主(つけのいなきおおやまぬし)が所有していた氷室を発見して、天皇への献上品として氷を差し出させたことがきっかけで、日本の蔵氷と賜氷の制度が始まったという記述がある。『日本書紀』成立の前後には、冬に採氷、蔵氷し夏まで氷を蓄えておき、夏に氷を利用する氷室の制度があり、律令体制の中で氷の利用の制度も組み込まれていることが窺える。
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