那覇サイトの核事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/25 05:15 UTC 版)
1959年6月19日: 那覇サイトから核弾頭を搭載したナイキが誤って発射され、那覇沖に沈んだ。一人が体を分断され即死、他の五人が全身火傷など負傷した。爆発はしなかったが、広島型原爆と同じ規模の威力を持つ20キロトンの核弾頭が搭載されていたミサイルは、那覇沖から回収された。事故は沖縄メディアにも伝えられたが、核弾頭を搭載していたことは伏せられていた。 2015年、沖縄の核兵器についてこれまで「否定も肯定もしない」政策をとりつづけていたアメリカ国防総省は「本土復帰前の沖縄に核兵器を配備していた事実」を初めて公式に認めた。終戦から27年間アメリカの統治下に置かれていた沖縄に核兵器が配備されていたことは、それ以前から公文書としても存在し、沖縄の「公然の秘密」とされてきたものの、多くはいまだにわかっていない。 2017年9月10日: 半世紀以上も過ぎたこの事件の真実が明らかになったのは、NHKスペシャル「スクープドキュメント 沖縄と核」 によるものであり、松岡哲平ら取材者はていねいな公文書の検証や退役軍人への聞き取りなどから事件をあぶりだした。 那覇サイト8には、4つの発射台があり、それぞれの地下にミサイルが保管されている。通常は1発が核弾頭つきのタイプで、3発が通常弾頭タイプだ。 — 松岡哲平、『沖縄と核』
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