選挙の躍進
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「エルンスト・テールマン」の記事における「選挙の躍進」の解説
1929年の世界恐慌以降、大衆の急進化で共産党の人気は高まった。1930年9月14日の国会選挙では、共産党は社民党支持層の票を吸って得票を133万票増加させて13.1%の得票率を得て77議席(総議席577議席)を獲得し、社民党とナチ党に次ぐ第3党となった。 1932年春にはヒンデンブルクの大統領任期切れから大統領選挙が行われた。1925年の時と同様に共産党からはテールマンが立候補した。テールマンの他には再選を目指すヒンデンブルク、ナチ党のヒトラー、鉄兜団のテオドール・デュスターベルクなどが出馬した。テールマンは「ヒンデンブルクへの投票はヒトラーへの投票と同じ。ヒトラーへの投票は戦争への投票と同じ(Wer Hindenburg wählt, wählt Hitler, wer Hitler wählt, wählt den Krieg)」を選挙スローガンにして選挙戦を戦ったが、3月13日の投開票の結果、ヒンデンブルク1865万票、ヒトラー1133万票、テールマン490万票、デュスターベルク255万票という結果に終わった。過半数に達した候補がなかったため、第2次投票が行われることとなった。第2次選挙にはヒンデンブルク、ヒトラー、テールマンの3人が立候補したが、4月10日の投開票の結果、ヒンデンブルク1939万票、ヒトラー1341万票、テールマン370万票という結果となりヒンデンブルクが大統領に当選した。 1932年7月31日の国会選挙では得票率14.3%へと得票を増やし、89議席(総議席608議席)を獲得、同年11月6日の国会選挙でも得票率16.8%に増やし、100議席(総議席584議席)を獲得し、ナチ党と社民党に次ぐ第3党の地位を維持し続けた。とりわけナチ党も社民党も得票を減らして共産党だけが得票を伸ばした1932年11月6日の選挙は共産党を有頂天にさせ、党はこの成功を過大評価した。
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