道鏡の政界進出とは? わかりやすく解説

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道鏡の政界進出

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:55 UTC 版)

宇佐八幡宮神託事件」の記事における「道鏡の政界進出」の解説

弓削道鏡は、孝謙上皇の病を治したことからその信頼得て出世した天平宝字8年764年)、孝謙上皇対立した最高実力者藤原仲麻呂反乱を起こす藤原仲麻呂の乱)と上皇は仲麻呂専制に不満を持つ貴族たちを結集して麻呂滅ぼした乱後上皇は仲麻呂推挙天皇立てられ淳仁天皇武力をもって廃位して淡路国流刑にすると、自らが天皇復位する(重祚)ことを宣言した復位した称徳天皇のもとで道鏡はその片腕となり、天平神護元年765年)には僧籍のまま太政大臣となり、翌2年766年)には「法王」となる。こうして、称徳天皇寵愛一身受けた道鏡は、政治にしばしば介入した。 だが、反仲麻呂派の貴族大勢あくまでも麻呂政界からの排除のために上皇協力しただけであり、孝謙上皇復位や道鏡の政界進出に賛同したわけではなかった。称徳天皇独身子供もいなかったため、その後皇位誰が継ぐのかが政界最大関心事となった天皇もこの空気敏感に察しており、淡路流され廃帝淳仁天皇)の謎の死和気王突然の処刑天皇異母妹である不破内親王皇籍剥奪など皇族対す粛清次々と行われていき、皇位継承問題事実上禁忌となっていった。

※この「道鏡の政界進出」の解説は、「宇佐八幡宮神託事件」の解説の一部です。
「道鏡の政界進出」を含む「宇佐八幡宮神託事件」の記事については、「宇佐八幡宮神託事件」の概要を参照ください。

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