道路網整備と経済の発達
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 13:58 UTC 版)
アステカは軍隊の迅速な移動を可能にするため道路網を整備していた。この道路網を通じて諸地域の産物がアステカに集まりその繁栄を支えた。テノチティトランの中心部では毎日市場が開かれたという。基本的な商業活動は物々交換であったが、カカオ豆が貨幣として流通し、カカオ豆3粒で七面鳥の卵1個、カカオ豆30粒で小型のウサギ1匹、カカオ豆500〜700粒で奴隷1人と交換できた。トウモロコシや芋類・豆類などの農産物、プルケ酒やタバコなどの嗜好品、専門の職人によって製作された質の高い陶製品やさまざまな日用品が、市場で売買されていた。こうした地域に根付いた商業のほか、長距離交易も行われていた。長距離交易はポチテカによって行われており、ケツァールの羽やヒスイ、カカオといった熱帯産の高級品を主に取り扱っていた。こうした商品の主な産地は東方のマヤ文明の諸都市やその近隣地方であった。また、支配下諸地域からの貢納もこの道路網を利用して行われており、持ち込まれる大量の貢納品はアステカ経済の大きな一部分をなしていた。
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