道営転入後とは? わかりやすく解説

道営転入後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 07:11 UTC 版)

コトノアサブキ」の記事における「道営転入後」の解説

道営転入後の初戦は、6歳になった1980年6月15日帯広競馬場ダート1800mで行われた大平原賞(1984年をもって廃止)。一般的に速いタイムが出にくいとされるダート良馬場ながら、馬なり騎手が追う動作をせず、馬の走る気に任せていること)で1分49秒7のタイム記録して圧勝し関係者驚愕させた。この走破タイム帯広競馬場コースレコード更新するとともに当時ダート1800mの日本レコードでもあった。日本レコードはのちに更新されたが、帯広競馬場レコードタイムとしてはホッカイドウ競馬帯広での開催終了した1997年まで、ついに破られることはなかった。2008年以降ダート1800mで行われているチャンピオンズカップGI2013年までジャパンカップダート)の優勝タイムにも匹敵するタイム30年以上も前に地方競馬記録していたことだけでも能力の高さがうかがえ名馬と呼ぶには十分であったその後脚部不安抱えて出走ながら8月岩見沢競馬場ダート1900m行われた金杯1996年廃止)を1分58秒7のコースレコード勝利。このレコードタイムも、岩見沢競馬場でのホッカイドウ競馬開催終了した1997年まで破られることなく残った。このほか、農林水産大臣賞典(現:ステイヤーズカップ)・道営記念優勝し、6戦6勝(うち重賞4勝)で6歳シーズン終えた7歳になった1981年瑞穂賞とシルバーカップ(1985年廃止)を含め3連勝し名古屋転入時から通算13連勝記録したが、調教中に転倒したことなどから3か月半休養、復帰初戦となった道営記念では10着と敗れ道営限定レース唯一となる黒星喫した。それでも10日後に行われた日本中央競馬会理事長賞(現:赤レンガ記念)は快勝し、5戦4勝(うち重賞3勝)でシーズン終えた8歳になった1982年も特別・瑞穂賞連勝した後、大井競馬場遠征し中央競馬招待競走1985年オールカマー帝王賞統合され廃止)へ出走出遅れながら前年帝王賞東京大賞典優勝馬のアズマキングの2着と全国でも十分通用する実力示し道営戻ってからは大平原賞・日本中央競馬会理事長賞金杯道営記念優勝。7戦6勝2着1回(うち重賞5勝)を記録し道営記念優勝から2週間後の11月17日競走馬登録が抹消され現役引退した道営在籍時の管理調教師だった黒川武回想によると「屈腱炎最悪で、普通の馬なら競走生活続けられないような状態」だったという。

※この「道営転入後」の解説は、「コトノアサブキ」の解説の一部です。
「道営転入後」を含む「コトノアサブキ」の記事については、「コトノアサブキ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「道営転入後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「道営転入後」の関連用語

道営転入後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



道営転入後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのコトノアサブキ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS