週刊少年サンデー版
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2003年4月23日発売の週刊少年サンデーに掲載された。基本的な設定は連載版と同じ。クラブサンデーで2009年7月14日まで掲載された。35巻限定版付属「別刷 結界師図絵」及び、「結界師 完全版」の18巻に収録されている(短編集「フェイク!」には未収録)。
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週刊少年サンデー版
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掲載誌の変更によりアニメ版の絵物語が少年サンデーにも連載された。構成・伊東恒久、作画・斉藤ゆずる。また、小学館の学年別学習雑誌にも掲載されている。
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週刊少年サンデー版
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「天才バカボンのエピソード一覧」の記事における「週刊少年サンデー版」の解説
「週刊少年サンデー」1969年35号~37号、47号、49号、51号~1970年15号に連載。計19話。 『おそ松』に代わって開始した『ア太郎』は『おそ松』ほどにはヒットせず、サンデーの売れ行きも低下していた。そんな1969年初頭、フジオ・プロの酒場での話し合いでの席上、同プロ所属の長谷邦夫が「『バカボン』、マガジンから持ってきて、赤塚不二夫をサンデーの独占作家にしちゃえば」と発言。同席していたサンデーの赤塚担当編集員・武居俊樹は翌日このことを編集長に提案、その結果『バカボン』は1969年35号からサンデーに移籍を果たす。当初は夏休み限定だったが、その後も不定期に連載され、1970年1号からは毎週連載となる。 この時期に、パパの新たな口癖「国会で青島幸男が決めたのだ」が登場した。また『ア太郎』とのダブル連載により、人気キャラ・ニャロメを始めとする『ア太郎』キャラが扉や本編に頻繁に登場するようになる。 なお1970年12号は『ア太郎』と共に休載したが、これは『バカボン』と『ア太郎』、そして『おそ松』のクロスオーバー作品『最後の休日』掲載のためである。 38号には長谷邦夫、古谷三敏、佐々木ドン、とりいかずよしのフジオ・プロメンバー総出で執筆された『ああ!! 大脱獄』(曙コミックス12巻収録時に『天才バカボン番外地』と改題)が掲載される。これは赤塚の母・りよの死去というアクシデントに伴って急遽執筆されたもので、『おそ松』『ア太郎』『バカボン』『風のカラッペ』のキャラクターが登場する。 こうして移籍連載したものの、『ア太郎』がニャロメ人気でヒット作になったのに対して『バカボン』は徐々に人気が低下していき、1970年15号をもって連載を終了する。『ア太郎』も同年27号をもって連載終了した。
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