連合王国貴族としてのフィリップス家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 15:19 UTC 版)
「セント・デイヴィッズ子爵」の記事における「連合王国貴族としてのフィリップス家」の解説
11代準男爵ジェームズの孫にあたるジョン・フィリップス(1860-1938)は自由党の政治家で、ミッドラナークシャー選挙区(英語版)やペンブルックシャー選挙区選出の庶民院議員を務めた。彼は1908年に連合王国貴族として「ペンブルック州におけるロック城のセント・デイヴィッズ男爵(Baron St Davids, of Roch Castle in the County of Pembroke)」に叙されたのち、1918年にも「ペンブルック州リッドステップ・ヘブンのセント・デイヴィッズ子爵(Viscount St Davids, of Lydstep Haven in the County of Pembroke)」を授けられた。これが現在まで続く子爵家の端緒である。ジョンは先妻との間に2人の息子がいたが、いずれも第一次世界大戦で戦死していたことから、後妻の長男ジェスティンが爵位を襲った。 また、初代子爵の後妻エリザベス・アブニー=ヘイスティングズ(英語版)(1884-1974)は1921年に古いイングランド貴族爵位の「ノッキンのストレンジ男爵(Baron Strange of Knokyn)」、「ハンガーフォード男爵(Baron Hungerford)」及び「ド・モリンズ男爵(Baron de Moleyns)」の停止解除を受けたため、彼女の息子ジェスティン以降は一連の爵位も歴代子爵の従属爵位に加わっている。 ジェスティンの曾孫にあたる第4代子爵ロドリー(1966-)が子爵家現当主である。 2020年現在、彼には子供がおらずその弟ローランドにも男子がいない。したがって、ロドリー及びローランドがこのまま男子なく死去した場合、セント・デイヴィッズ子爵・男爵は廃絶することとなる。また、3つのイングランド貴族爵位も弟ローランドの娘(アンバーとシャーロット)の間で保持者不在に陥る可能性がある。 かつての一族の居城には、ペンブルックシャー州ハーヴァーフォードウェスト(英語版)に位置するピクトン城(英語版)があった。 一族と爵位にかかるモットーは「愛国心こそ我が原動力(Ducit Amor Patriae)」。
※この「連合王国貴族としてのフィリップス家」の解説は、「セント・デイヴィッズ子爵」の解説の一部です。
「連合王国貴族としてのフィリップス家」を含む「セント・デイヴィッズ子爵」の記事については、「セント・デイヴィッズ子爵」の概要を参照ください。
- 連合王国貴族としてのフィリップス家のページへのリンク