近代の医療
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
近代的な医療制度の整備前から、開業している女性の医師は存在した。内務省衛生局が発行した『日本医籍』(1889年)には、39000名の医師のうち女性が62名いた。医術開業試験の制度が始まると、1881年から女性の申請があって問い合わせが相次いだ。内務省衛生局は1884年に女性の受験を許可し、1885年に荻野吟子が女性初の近代的な開業医となった。博士号取得や留学も始まり、岡見京は女性初の医学博士、宇良田唯はマールブルク大学で初の女性医学博士となった。医師の養成では吉岡彌生が女医学校や専門学校などの教育機関を創設した。しかし、医師は男性であるという前提により、女医という呼称が続いた。他方で、看護師は女性の仕事として固定化されていった。 紡績産業で働く女性の間では、重労働などを原因として結核が流行した。農村から働きに出た女性が帰郷した際に結核を感染させることになり、農村でも結核が増加した。1903年には紡績女工が肺結核で帰郷療養をする問題が指摘され、農商務省の「職工事情」でも工場労働者の結核が記録されている。しかし日本政府は工業国の立国を急ぐ反面で問題対策が遅れ、工場法の施行で対策を始めたのは1916年からとなった。
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